アートマネジメント実践講座Dコース(2010年度)・受講生による記事のご紹介④
早いもので『あいちトリエンナーレ2010』も残すところ3週間ほどに・・・。アートマネジメント実践講座の研修生のみなさんとは劇場でよく顔を合わせるようになりました。1つの作品を囲んで話したり、文章にすることって本当に魅力的だなって思います。
今回は9月4・5日に上演されたデルガド・フッシュの作品についてのレビューです。
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作品タイトル:『桃色のズボンと赤いヌバックの先の尖ったハイヒールをはいて、襟ぐりが緩んだセーターの上に着た空色のウールのロングコート』
会場名:愛知芸術文化センター小ホール
アーティスト名:デルガド・フッシュ
<レビュー>
執筆者名:I.N.
男女二人組のダンスパフォーマンスです。まず男性が、次に女性が 何もない舞台に、紙袋を提げて、パンツ一枚の姿で現れます。二人はそれぞれ準備体操風の動きを始めますが、二人の動きに関 連性はなく、いつ始まったの?というさりげないスタートでした。パンツ一枚だったり、スーツ姿や素っ裸になったり、様々な場面で、同じ人の肉体から次々と繰り出される動きが、意味と無意味の 間を揺れ動きます。
女性が男性の手足の位置を決め、頬に手を当て、彼の唇をななめ上にひっぱって笑いを作り、男性の体の「動き」を決定すると、男性はその通りに動き出します。感情があるから動きがあるのではなく、動きがあるから感情があるように見えま した。身体の動きとは何かを根底から考えさせるパフォーマンスだなと思いました。
この動きは、こういう意味だろう・・・と意味を求めて観ようとすると、快く裏切られていく爽快感や滑稽さがありました。「くすっ」「ふふっ」と笑いながら、観客の皆さんは帰って行った様子で
した。
執筆者名:I.K.
まず目をひかれたのは、その長いタイトルである。何度読み返しても、わかったようなわからないような、曖昧な不安感に襲われる。しかし、幕が開けると、すっかりデルガド・フッシュの世界に取り込まれてしまった。
単調なリズムが流れる中、舞台は気だるい気配で始まっていく。ほとんど音楽らしい音や、ストーリーといったものが見当たらない中で、二人の肉体の完成度と見事な身体能力とに目を奪われていった。だが、驚くべきはそれだけではなかった。
会場に向けてセリフを投げかけたり、ところどころに用意されたサプライズによって、彼らの非日常的な世界がドンドンこちらに迫ってきた。自分がストーリーにかかわっているような、不思議な気分になってくるのだ。ナディーンにもてあそばれるマルコ。マルコに振り回されるナディーン。クライマックスでは、会場は一体となって笑いの渦に巻き込まれていった。ラストを迎えるころには、現代を生きているということの意味を再認識させられた作品だった。
執筆者名:M.F.
強い個性を想像していたデルガド・フッシュ。けれども、それとは裏腹に彼らはひっそりと登場した。何もないステージ。彼らの格好は、スポーツジムにでも行くようなスタイルだ。おもむろに上着を脱ぎはじめる二人。鍛え上げられた肉体は芸術そのもの。彼らの表現者としてのプライドがその肉体から発せられている。ゆっくりストレッチを始める二人。一通りのストレッチを終えたあと、マルコは白いシャツに黒いパンツと黒い革靴、フッシュはひとつに結わえていた髪をほどき、白いシャツと緑のホットパンツにミドル丈のスエードブーツに着替えた。
彼らは手を取り合い、情熱のまま踊り始める。中盤、フッシュが彼をポップミュージックに合わせるような奇妙な動きに誘導していった。されるがままのマルコ。やがて彼らは何もかも脱ぎ捨て、肩を組み、お互いの手で局所をを隠しあい、ステップを踏んだ。その姿には思わず吹き出してしまった。本来、人前で裸になることはとても恥ずかしいこと。でも恥ずかしいと思うのは、自分が周りの目や、世間体を気にしているせいもあるのではないだろうか。公演の途中、フッシュが口を開いた場面があった。「マルコは、ブリュッセルの元ストリップダンサーだった。」恥ずかしいところだけど、それを笑いに変えてしまえる。大げさかもしれないけど、人生にも似たようなところがあるのかも知れない。悩んだりつまずいたりするけど、本当は滑稽で愛おしいものではないか・・・彼らにそう言われているような気がした作品だった。
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